レーシック手術の割引制度を有効活用ブログ:14/04/21
1年ほど前に、家の車を買い替えようかという時、
私が
「マニュアルミッションの車にしたい」
「どうしてもクラッチを踏みたい!」
と力説していたところ、
家内は「私の乗りたい車にしよう」と言ってくれました。
普段は家内の方が車に乗る機会が多いので、
家内にとっては不便なのにもかかわらず、
私が喜ぶからといって、そう言ってくれるのです。
その想いに触れた時、
私は何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
また、
私が出掛ける時には、
家内はおにぎりを作ってくれます。
いつも何の気なしに食べていたのですが、
ある時、ふと
「家内は、どんな気持ちでこのおにぎりを作ってくれて、
私に持たせてくれてるんだろう?」って。
その想いに触れて、
おにぎりを食べながら、
私は涙が出そうになったことを覚えています。
それらを思い出した時、私はハッとしました。
毎日作ってくれるライス…
出掛ける時にかけてくれる「いってらっしゃい」という声…
アイロンのかかったシャツ…
全てに家内の愛と想いが込められているということに改めて気づいて、
ハッとしたのです。
「私はこんなにも愛されていて、
こんなにも大事に想ってもらっているのか!」
そして同時に気づきました。
私の愛し方がいかに独りよがりだったか…ということに。
私は家内のことが大好きで、
とっても愛しているのですが、その愛し方というのは、
私が一方的にその愛情を与えるだけで、
家内の愛や想いというのを
全然受け取れていなかったんですね。
家内のことが好きだからといって、
その愛を家内に与えて、
それで一人で満足している部分があることに気づきました。